- モーニングノート
朝の思考を書き出すことで、ストレス解消や思考の整理に役立つ。 - タイピングの効率化
誤入力を減らし、速く正確に入力することで時間を節約できる。 - 継続性を重視した取り組み
やる気ではなく、軽い気持ちで始めることで継続しやすくなる。 - 価値のあるコンテンツ提供
他人に役立つ情報を提供し、収益化を目指す。 - AIを利用した文章の要約と補足
自分の思考を客観的に整理し、他人にとっても価値のある情報にする。 - 人間とAIの役割分担
人間は0から1を生み出し、AIは1から100にする能力を活用する。
朝起きたら一番最初に思考の排水をする。モーニングノートというらしい。本当は手書きでなければならないようだがパソコンでの入力でもやらないよりは遙かにマシだろう。
なるべく誤入力をしないようにする。しないようにするという表現があまり良くないか。しない。誤入力をするたびに時間が浪費されている。タイピングで重要なのはミスをしないことではないか。ミスをしないことで入力が速くなる。速く打とうとすると結果的に速く入力することができない。
漢字変換もできるだけ効率化してほしい。atokを導入しているから多少はマシだと思うが、細かい部分で変換の修正をしなければならない。これはしょうがないことか。いずれAI校閲ソフトが常駐して文字の修正も前後の文脈を読み取って自動でやってくれるに違いない。
なるべく軽く速くやる。それが重要だと一日たった今でも感じる。朝一番で始めるには軽く始めるのが重要だ。軽くなければ始めるのに覚悟を決めなければならない。やる気を出すためにできるだけ軽く始める、いややる気を必要としないために軽く始めるのが良いのか。やる気は必要ないと色々な本で書いてあった。やる気を当てにすると継続できないという主張だ。正しいと思う。実際やる気なんて物は当日の体調に左右されすぎるからおすすめできない。
他人にとって価値のあるコンテンツを提供しなければ収益化には繋がらない。なんとかして金を手に入れる必要がある。収益化するために価値のある情報をAIの助けを借りて提供する。こうやって雑多な文章を書いてトピックを要約してもらう。それにAIが簡単な補足を入れる。今日はそんなプロンプトでやってみたいと思う。
これは他人のためというより自分のためだ。他人は二の次だ。まず重要なのは自分のためになるかどうかだ。それが結果的に続けられるかどうかを決める。他人のためにやり続けられる人間は才能だ。他人の役に立つことが嬉しいから続けられる。自分はそうではない。全くそうではないとは言わないが、薄いと感じる。まず自分のためにならないといけない。
どんな自分のためになるのか? まずは思考の整理だ。こうやって朝に思いついていることを片っ端から書いていくのはある種のストレス解消になる。雑音を吐き出すことができる。排水と岡田斗司夫は表現していたが言い得て妙だと思う。いや岡田斗司夫というよりは、そのとき紹介していた本の著者がそう主張していたのだったか。いずれにせよ自分の行動としては変わらない。
全く思いついたことをだらだらと書き続けるだけで他人の価値になるのか? いままではならなかった。でもAIの助けを借りればできるかもしれない。これも何も考えないで書いている。ただ思考の流れとしては何かについて語っているわけだ。何かについて語っている、その何かをAIに抽出してもらう。トピックとして箇条書きしてもらう。それについてAI側から短い補足を入れてもらう。そうすることで他人にも役に立つ情報になるし、何より自分が自分自身の思考を補足してもらうことになる。それが大きいのではないか。
自分自身の思考は偏ってしまう。一つのものの見方で欠かざるを得ないからだ。もっともそれが悪いことだとは僕は思わない。閉じた世界は美しい。閉じた主張は強固だ。だから最初は何事も閉じた状態で始めると良いと思う。特に創作の分野はそうではないか。最初から他人に見せることを前提にすると毒のない平凡なものが仕上がってしまう。きっとそうしたものはすぐにAIによって置換される。そういう時代がすぐそこに迫っていると素人の僕でも感じる。
書く上で一呼吸ついたと思ったら休憩するのが良いかもしれない。それで1500文字くらいにはなるだろう。朝と寝る前に合わせて3000文字だ。それを元データとしてAIに抽出してもらい、客観的な情報から補足を入れてもらう。良いのではないだろうか。
それに伴ってブログの趣旨が全く変わってしまったので、ドメインの変更やブログデザインの変更などを行いたい。別に必須ではないが美意識の問題だ。なるべくシンプルで無機的なものにしたい。親しみやすいデザインにするつもりはない。完全に自分のために作るが、他人が見てもわかりやすいデザインを目指す。そうしよう。
AIは1から100にする能力に長けていると感じる。人間は0から1を生み出す能力を担うのが良いのではないか。少なくとも現時点のAIの性能ではそうだろう。いずれAIの性能が素晴らしく向上した場合、人間の発想は必要なくなるのかもしれないが。どうだろうか。僕は人間の発想は最後までのこり続けると感じる。結局人間は自分たちの社会の主導権を人間が握り続けるようにすると思うからだ。個人的には全てAIに代替して合理的に運営すれば良いと思う。どうせ僕たち庶民は顔も素性もよく知らない偉い人の管理で生きているのだから、それがAIになって合理的になるのなら歓迎するべきだと思う。
とはいえ全てAI任せというのもきっと違うのだろう。AI信仰みたいなことになって訳の分からないことになりそうだ。結局AIは道具なのだから、頑張って上手く使う方法を頭のいい人が考えてほしい。そしてこうやって末端の人間に降りてきた機能で、なんとか金を稼ぐ方法を考えたい。金ばかりだ。自分は。でも実際そうなのだからしょうがない。
ともあれ言いたかったことは、こうやって駄文を積み重ねさえすれば、AIが勝手にトピックを抽出して価値のある情報に加工してくれるのではないか、そういったプロンプトを作ることは容易ではないか、という主張だ。0を1にする、つまり元データをそれなりの量用意するのが自分の仕事であって、それを加工するのは賢いAIに任せよう。