- AIによる文章の分析と要約
AIを利用し、文章を分析・要約することで、自分の思考をクリアに整理し、価値を高める。 - 文字数が重要
分析対象が多ければ多いほど、AIが効果を発揮しやすいため、文字数を増やすことが大切。 - 個人の独自性
個人の中にある独自性を持った情報を活用し、AIを使って加工することで価値を生み出す。 - ソーシャルゲームにおける課金
娯楽としてのコストパフォーマンスを考慮し、金を使うことを検討する。
最初思考排水は朝と夜だけやろうと思っていたが、そんな時間にこだわる必要はないのだと気がついた。結局文章量が全てである。AIに分析してもらう文章量を増やすことが正義だから、いつでもブログを開いて適当に文字数を増やせば良い。今も打つときにバックスペースで修正していたがそういうことをなくした方が良い。とにかくミスなく早く文字数を増やすことを考える。文字数が全てだ。AIが勝手に分析してくれる、そのベースとなる発想を書き連ねる必要がある。
どれくらいの文字数を書けば良いのか? まあ適当だろう。実際はその人の体質によるのではないか。自分は一呼吸で500文字くらいに到達することが多い。これは朝とか集中できる環境になれば1500文字くらいになることもある。そういう自分自身の基準を持つことが重要ではないか? 違うか。結局文字が増えることが全てだ。あまり雑音に心を乱されない方が良い。文字数が全て。いつでも書いて良い。そういう自由さで努力して適当にやるのが良い。適当にやるのだ。軽く適当にやる。
ともかくAIに自分の文章を要約してもらうというのはなかなか面白い。自分自身の思考がクリアになって表示されるのは一種の快感がある。雑多なカオスな文章に秩序を与えてくれるというのか。そういう快感は確かにある。それが実際他人の役に立つかどうかは現時点では見通せない。
通常の方法でブログを経営するのは自分には無理そうだ。通常の方法というのは、一から十まで全て自分自身で計画して物事をアウトプットする方法だ。そんなにアウトプットする情報を自分は持っていない、いや、持っているのかもしれないがそれに費やす努力が苦痛だ。なぜなのだろうか。きっと自分は根本的に他人の役に立つため「だけ」に色々なことをやるのが苦手なのだ。思えばそういう性質は子供の頃からあった。手をつなぐのが苦手な子供だったと親から聞いたことがある。そういうものなのだろう。
基本方針は固まった。自分の雑多な思考を雑多なままに書き連ねて、それをAIに要約して補足してもらい、価値を高める。高めるというか、そもそも価値が生じるのかという疑問はあるが、まあ結局のところ文字数が全てだから、そのあたりは解決されるだろう。
ユニークな思考というものが自分にあるのか? 多かれ少なかれ人間であるならユニークであるはずだ。完全に同じ遺伝子かつ同じ環境で育った人間というものがあり得ない以上、ユニークさは必ず生じるはずだ。あとはそれをアウトプットできるかどうかだ。
ただアウトプットするだけでは価値が生まれない。なぜならこんな雑多でカオスな情報から意味を見いだすのは困難だからだ。自分だって難しい。結局他者のためになる情報というのは文字によって規定された、ある種の限定性を持っていなければならない。有り体に言えば要約だ。
世の中のブログの記事はそのライターの持つ情報の要約であるといえるだろう。記事として提供した時点で加工された情報だ。本人の中にはもっとカオスでとりとめのない情報があるはずだ。それをそのまま出力したら商品にならない。別に商品にしなくても良いのだが、他人に見せるということを前提にしているだろうから、ブログというものは、なので他人がいるという前提であればどうしても自分の思考を加工せざるを得ない。
その加工のプロセスをAIにやらせようというのが今回の発想だ。chatgptはそのあたり、要約や情報の追加というのは得意そうに思える。ただしこれも元になる情報が絶対に必要だ。AIは連想ゲームというか、関連性の近い単語を自動で出力しているだけだという言説を読んだことがある。そんなに外れてもいないのだろう。
独自性を持った情報、というのは、おそらく個人の中にある情報だ。カオスだから、それを加工しなければならない。加工することにこれまでは多大な労力が必要だったが、今はAIが代理でやってくれる。それを生かさない手はない。
久々にソーシャルゲームをやっている。すでに一万円も課金してしまった。コストパフォーマンスという意味ではどうなのだろうか。これまでAIについて語っていたのにいきなりソシャゲの話をするのもどうかと思う。こうやって話題が二転三転してもAIが適切に要約してくれるはずだから問題ない。
よく脊椎で喋るといった表現がされるが、それに近いことをするべきだ。脊椎で書く。反射で書く。思いついたことを片っ端から書いてゆく。とにかく文章量、文字数が全てだ。分析する対象が多数であるほどAIは効果を発揮するからだ。
何の話だったか。ソシャゲだ。エッチな女の子が出てくるソーシャルゲームだ。よくあるやつである。性欲に負けて課金をしているのだろうか? そういう部分もあるだろう。実際戦闘は全てスキップでやっているし、それで十分楽しめている。それというのは、つまりイラストだ。女の子のイラストに課金している。まあそういう金の使い方もあるだろう。
娯楽に対して金を使う。コストパフォーマンスをよく考える。娯楽というのはコストパフォーマンスを考えるべき事柄なのだろうか? つまり一万円払ったら一万円分の快感なり達成感を味わえないと損ではないのか? 一々こんなことを考えるのも人生を損しているような気もする。もっと景気よく金を使いたい。
無限の金があれば良いと思う。だんだんネガティブな方向に思考が向かってきた。こういう場合AIが分析したらきちんとプラスの方向に要約して補足の情報を入れてくれるのだろうか。「エッチな女の子が出てくるソシャゲ」というトピックから他者に役立つ情報を抽出するのは人間には困難だ。なぜならどうでもいいから。どうでも良いものから他者に対して価値のあるものを抽出できるのなら、もはやAIは聖杯と同じだ。何もないところから万物を生む。やばい。宗教的な思考に行くつもりはないのでこのくらいにしておこうか。別に行ってもいいのだけれど。