【思考排水日記ChatGPT要約】内向的な人の成功への道: 交流を排除した情報発信と認知の重要性

  1. 小さな家で静かに暮らす願望
    華美な装飾や大きな家よりも、身の丈に合った家賃で暮らしたいとの考え。
  2. 金銭的自由への懐疑
    FIREのような金銭的自由を求めるが、それが特殊な能力を持つ人に限られると感じる。
  3. 他人とのコミュニケーションの重要性
    社会での成功には、他人とのコミュニケーション能力が大きな要因だと考える。
  4. 内向的な成功者についての疑問
    内向的な成功者が存在するかどうかについて疑問を持ち、その要因が知りたい。
  5. 交流を排除した情報発信の提案
    自分の考えを発信し、読者が勝手に学習するようなスタンスをとることを提案。
  6. 認知と交流の違い
    「多くの人に認知される」ことが成功に必須だが、「多くの人と交流する」ことは必須ではないと考える。
  7. 発信の再現性と可能性
    他人の反応を排除した状態での発信は、内向的な人間にとって再現性があり、可能性があると提案。
  8. AIを活用した情報発信
    自分の好き勝手な情報をAIに要約してもらい、価値を生み出すことを提案。

小さな家で静かに暮らしたいと思う。華美な装飾や大きい面積はあまりいらないと感じる。それよりも身の丈に合った家賃で静かに暮らせればそれでいいと思う。
なるべく早く金銭的に自由になりたいと思っているが、やっぱりFIREとかは特殊な能力を持った人間しか達成できないのではないかと疑っている。特殊な能力というのはつまり社会に適応できているかどうかということだ。有り体に言えば人間が好きかどうかという能力が大きなファクターになっていると感じる。
例え学歴が低かったり知能指数が低かったりハンデを抱えていたり、何でも良いのだけれど、何か強いマイナスの要素を持っていたとしても、他人とコミュニケーションするのが好きで得意であるなら現代社会では上手くやっていけるような気がしている。というのも結局のところ金銭というのは他人とのつながりで発生しているので、そこに苦手意識がある人間はスタート地点からして大きく出遅れていると考えられるからだ。ちなみに僕は人間があまり好きではないし、人間関係は嫌いだし、誰にも会わないで生活できればどれだけすがすがしいだろうと考えている類いの人間なので、もうどうしようもないのである。無い物ねだりなのだろうか。
成功者の本やブログや発信されている情報を見ると、やっぱり他人と会うのが好き、他人と交流するのが好き、といった外交的な人間がほとんどであると感じる。というよりも外交的でなければ情報発信をしないというだけなのかもしれない。内向的な成功者は観測できないという理屈だ。実際どれくらいの内向的な人間が社会で成功していて、その要因は何なのか、ぜひ教えてもらいたいと思う。
一応自分の中で仮定はしていて、それは交流しないにしても発信するということだ。交流を排除して発信する。読んだ人間が勝手に学習すれば良い。そういうスタンスでやる。
もちろん交流した方が名前が売れるのは早いに決まっている。より多くの人に認知されて金銭的なメリットも大きくなるだろう。だがこの「多くの人に認知される」ということが、金銭的・社会的な成功において大きな要因となっているのがもうどうしようもないくらいハンデなのだ。僕は多くの人に認知されないなんて欠片も思っていないが、それでも認知されなければ金が稼げない。まあそういうことである。

他人の反応を排除した状態で発信を続ける。これは内向的な人間にとってはかなり再現性のあるプランなのではないだろうか。もちろん成功が約束されているわけではないが、物量さえ確保できれば、あとは勝手に観測されて広がっていく可能性がある。楽観的すぎるだろうか。
もちろんすぐさま拡散されるなんて思っていない。五年、十年、下手したら死んだ後かもしれない。でもそれはもうそういうものだと思って諦めるしかない。ここを解決しようと思ったら、自分から積極的に他人とコミュニケーションを取って、双方向の交流を経て、なるべく多くの人の目につくようにして、自分も多くの人と交流するといった、まあ外向的なスタイルを会得するしかないのである。それが無理なら、いろいろ考えて自分に合った方法をとるしかない。
いずれにしても他人に認知されないことにはどうすることもできない。「多くの人に認知される」。これは多分必須のファクターだ。だけれど「多くの人と交流する」ということは必須ではないと思う。これは認知されさえすれば向こうから勝手に僕の情報を読み取ってくれるという期待があるからだ。
図書館の本を想像するとわかりやすいかもしれない。そこに文字の羅列がパッケージされて、情報として存在していれば、誰かが手に取ってくれる。もちろん派手に宣伝して、ポップを飾って、企画を出して、感想会のようなものを開けば認知されやすいだろうが、それが苦痛でしょうがない人は迂回してやるしかない。
一つ確実なのはやらないよりも遙かにマシだということだ。可能性がある。宝くじを買うよりは遙かに現実的であろう。今もこうして自分の考えをだらだらと書いているが、これだってネット上の情報となることは間違いないのである。僕という一人の人間の中にあるとりとめのない情報ではあるが、同じ情報が存在しない以上、希少性は間違いなくある。問題なのは希少性と希少価値がイコールではないことだが、そこを解決するのがAIであるように思う。
自分の好き勝手な情報をAIに要約してもらうことで価値を生む。これがこのブログの基本方針となったわけだが、一体どれくらいの勝算があるのか、現時点では全く見通せていない。とりあえずある程度のPVさえ得られれば後はどうだっていいのだが、果たして一般男性の思考の羅列にどれくらいの価値が生まれるのだろうか。
まあ発信しないことには始まらない。発信というか、読めるような状態にしておいて、読めるような情報を継続して発生されるということが、たぶん最低限必要な要素であるように思う。そうでなければとっとと他人と交流する努力をするのが無難だ。僕は他人と交流するつもりはないけれど。

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