- ソシャゲの操作を簡素化し、演出のスキップを自由にしたい
ユーザーの好みに合わせてゲームを楽しめるよう、スキップ可能な演出が望ましい。 - 発想やひらめきを忘れないよう、すぐにメモを取る重要性
忘れずに記録することで、後で役立つことがあるかもしれない。 - ブログを日常の活動ログやメモ代わりに活用する
他人に役立つ情報を提供し、ネットの情報が豊かになることを期待。 - AIを利用してブログの情報を整理・要約し、価値を生む
AIを活用することで、自分や他人にとって有益な情報になる可能性がある。
操作を減らしてほしい。ソシャゲをプレイしていて思ったことだ。
成果が出るまでの操作を減らす、手順を減らす。シンプルなデザインにする。作り手の願望を挟まない。そういうものを望む。
明らかに演出を見せたいがためにスキップ不可になっている場面が多い。そういうものは不要だと思う。スキップさせてゲームを好きになってもらう方が重要ではないか。演出を見たい人間は演出を見れば良い。そういう自由があれば良い。
すぐ書かないと発想が消えてしまう、というか忘れてしまう。今も何か書こうと思っていたのだが、ブログのエディタを開くまでの間に忘れてしまった。忘れるということはまあどうでも良いことなのだろうが、なんだか損した気持ちになる。もしかしたら画期的なひらめきだったかもしれない? そんなことはあり得ないが。
解決策はすぐに書くしかない。メモを取るのも良いだろう。僕の場合はすぐにブログのエディタを開いて書くようにするのが良いのではないか。どうせ脊髄反射的に書いている文章だから、メモを取っているようなものだ。実際そういう意図がある。今までグーグルキープに書いていた備忘録の内容をブログに落とし込んで、AIに要約させて、価値を生む。
実際そんなたいしたことを書いているわけではないのでたかが知れているが。でもとにかくこの方法は手数が多い。手数が多くて楽だということは継続する上でとても強力な要素だと感じる。まず自分が面倒くさくなく、ある程度楽しく、自分の利益になって、自己完結する要素を持っていないと、そもそも継続できない。他人の反応を当てにして続けるのはランダム性が多すぎるし、そもそも僕は他人の反応が好きではない。嫌いだと言い切っても良いかもしれない。
ブログという物についてぼんやりと考えていたのだが、結局のところ、ブログとは自分の日々の活動のログをつけるということではないだろうか。
例えば調べ物をしてグーグルキープとかにメモをする代わりにブログに残す。そこに簡単な注釈や見やすい記述をしておいて残しておく。そうすることで他の人が見たときに何かの役に立つかもしれない。そういうことなのではないか。
初めから他人の役に立つことを狙って書く文章もある。事前に情報を調べてまとめて、他人に伝わりやすいように書くというものだ。でもそれはログというには丁寧すぎないだろうか。自分には無理だ。
価値のある情報を残したいというが、価値を決めるのは自分ではなく他人だ。それを前提にしたときに、各々が最低限満たすべき条件は、「全く何も知らない状態から見ても意味が理解できる」ということではないだろうか。
メモというのは自分だけが分かれば良いのだが、そうではなく、「未来の自分が見ても分かるように書く」というのが重要ではないだろうか。そうすればきっと他人が読んだときにも意味が分かってもらえる。それは自分だけではなく他人の利益にもなる。
ブログをメモ代わりにしてコンテンツを増やしていけば、どんどんネット上の情報は増えてゆく。それぞれがそれぞれの情報を書き残すことで、ネットの情報はどんどん豊かになる。それの助けにAIを用いれば良いのではないか。
当面の自分の方針として、メモ代わりにブログを使うことにする。数日で方針変更するかもしれないが、現時点ではの話だ。ChatGPTの回答とかをブログにまとめておけば、あとで自分が読んでも楽しいし、他人が読んでも何かの役に立つのではないだろうか。