介護で重要だと思う事柄を「寛容さ」「冷静さ」「優しさ」の順番で挙げました。
なぜ優しさが最後なのか、一般的なイメージとは違っている理由を話したいと思います。
利用者様の全ての要望を叶えられるわけではない
例えば歩行器を使っている方で、歩けないから車椅子に乗せてほしいと頼まれたとします。
優しさを前提とするならば、その方の要望通りに、車椅子に乗せてしまうと思います。ですが介護の仕事はその方の残存能力をなるべく落とさないことを前提に関わっていくため、介護職としてまず考えることは、何とかして歩行器で歩いてもらえないか言葉を尽くすことです。
他にも水を飲みたくない、今は食べたくない、運動したくない、昼間なのにずっと寝ていたい、風呂に入りたくない、甘いものばかり食べたい、など挙げればきりがありませんが、そのような要望を言ってくる方は普通にいます。
でも彼ら彼女らの要望を全て叶えることはできません。それは意地悪ではなく、彼ら彼女ら自身の人生を良くするために必要な、ある種の厳しさです。
介護業は、介護計画に従って提供するサービスである
そもそも前提として、介護業を行う際には、その方一人一人に合わせた介護計画を作成します。
例えば一緒に運動に参加するようにしましょう、他の方とコミュケーションを取りましょう、でも体を洗うのは手伝います、下着の交換をお手伝いします、といったようなものです。
僕たち介護職員にとって、この介護計画が原則になります。介護計画よりも不足のある介護を提供してはいけませんし、反対に、過剰に何から何まで介護を行うというのも駄目なのです。
その点は冷静に判断しなければなりません。当然要望を断れば、利用者様は怒ったり不機嫌になったりします。それが人情です。ですが僕ら介護職員は、介護サービスを提供しているのだという立場で、介護の内容をコントロールしていかなければなりません。
それでもやはり、根底にあるのは優しさ
とはいえ、介護計画を守ってさえいれば冷淡に行って良いのかといえば、もちろんそんなことはありません。
優しさは前提です。にこやかに、温かみのある対応をします。ただしそこに寛容さや冷静さが含まれていなければ、独りよがりの介護になり、結果的にその方の生きる力を奪ってしまいます。
いつからか僕の中には、介護の字は、介入の字と同じだなという言葉が思い浮かぶようになりました。介入と聞けば、あまり良いイメージではないと思います。でも実際、僕ら介護職員がやっていることは、介入以外の何物でもないのです。
だから事前に計画を立て、どの程度介入するのか、しっかりと定めておかなければなりません。でなければ介護者個人の感覚で、介護の内容が大幅にぶれることになりますし、そもそもその介護によって達成したい目的もあやふやになってしまいます。